その事実が伝えられたのは、まるでダルマスカの未来を示すかのように静かに雨が降る暗い午後のことだった。
このように乱れた世の中だ、それでは仕方あるまい。王宮に知れ渡ったその報告に誰もが気休めのようにそう口ずさみ、下に俯いた。
無論、その当事者の一員であるラスラはその報告を耳にすることはない。昨日の晩、彼女が最も信頼するダルマスカ将軍からそれを聞き、急いで彼女の元へ駆けつけたのだ。
彼女に今すぐに会わなければ。そう思い、逸る気持ちに従いラスラは彼女のいる部屋へ向かう足を急がせた。
「3ヶ月ですって!今日、初めて心臓を見せてもらったのよ」
「元気に動いてた?」
「えぇ、とても!私嬉しくて嬉しくて、涙を堪えるのに必死だったのよ」
私、幸せ者ね。そういって、彼女は本当に今まで見たことのないくらい嬉しそうに笑っていた。幸せだという彼女を見ながら、自分も彼女と同じくらいそうだと思っていた。
ほんの、5日ほど前の話だ。だからこそ、この事実は嘘だと信じたい。あのときの幸せは幻ではないといってほしい。
ここ数日で変わってしまったダルマスカの未来の如く、彼女と新しい命の未来までも悲しみに変えてはいけない。どうかこの手で、守り抜かねばと誓っていたのに。
重い扉を開ける前に呼吸を整わせる。そして落ち着いてドアをノックする。返事はなかった。けれど目には見えない静寂と優しさが、ラスラをこの部屋に入れることを許していた。
ドアの奥に広がる部屋の片隅で悲しみの涙を流しているであろう、彼女の手によって。
「アーシェ」
「・・・来てくれたのね。忙しいのに、御免なさい」
そういって、彼女は力なさそうに微笑んだ。そこにいつもの誇らしい彼女の姿は何一つとしてなかった。
彼女に近づけば、それをなお雄弁に語っていた。目は随分泣き腫らしたのだろう、真っ赤になっていて、顔も青白く彼女を美しく飾るいつもの笑みはなかった。
・・・本当なのだ、と。ラスラは確信した。事実より彼女の悲しい表情がそれを明らかに示していた。
「アーシェ」
「ごめんなさい」
下を俯いたまま、彼女は何かいおうとする夫の言葉を遮って伝える。ごめんなさい、と。
嗚咽こそ聞こえないものの、彼女が泣いているのは明らかだった。そしてその謝罪は夫と、新しく生まれくるはずだった尊い命に向けられていた。
ラスラはどうすることもできなかった。誰よりも、なによりも悲しいのは彼女だ。この事実を否定することなく全てを受け入れた彼女が一番辛いのだ。
白く細い手をとり、俯く頬にそっと触れる。涙の跡は絶えることなく彼女の頬を悲しみに濡らしていた。
「守れなかったの・・・。全て、私のせいよ。ほんの少し前までは生きてたのよ。それなのに」
「もういいから。何もいわないで」
「私が強くないから。この子には何にも関係がなかったのに。この子だけが、ダルマスカの未来を明るくしてくれると思ってたのに・・・!」
「アーシェ」
抱きしめた途端、彼女のあまりの弱々しさに恐怖を感じた。どれだけ辛い思いをしたのだろうと考えるだけで胸が締め付けられた。
ここ数日続いた乱れた状勢による精神的なショックと疲労が、彼女とその命を壊したのだろう。それが医師の見解だった。
こんなになるまで彼女を放っていた自分をどんなに恨んでも晴れることなどなかった。もう二度とは戻ってこない命をどれだけ想っても、救われることなどない。
大声で泣く彼女を見るのは初めてだった。事実が明かされてから本当はずっとこの衝動を耐えていたのかもしれない。彼女はとても強いから。
ラスラは深く深呼吸し、強く抱きしめた手を少しだけ解いて伝える。
「君はなにも悪くない。この子も、誰も君のことを責めたりはしない」
「・・・でも!」
「頼むから、もう自分を責めないで。きっと誰が悪いわけじゃない。そういう運命だったんだ」
そういって、ラスラはアーシェの髪を撫でる。まるで子供をあやすかの如く優しく。
それでも涙は止むことはなかった。
「ダルマスカのことなら心配ない。状勢が悪化しているのは確かだけど、長くは続かない」
「・・・でも」
「それに、俺はまだ死なないから。もちろんアーシェだって。王家の跡継ぎだって問題はない」
そうだろ、と。ラスラは彼女の涙を拭い、そっと上を向かせる。
覗き込んだ瞳は真っ赤だったけれど、小さな口元はほんの少しでも笑顔を見せようと必死なのがわかった。
大丈夫だから。そういって再度強く抱きしめた彼女の後ろには、暗い雨の切れ間から光が差していた。