広い私室に浮かぶ破魔石に添えられた走り書きのメモに彼女が気づいたのは、粗方の書類整理が片付いた真夜中のことだった。
今夜彼がこの私室に来ることはない。それは彼の口から直接聞かされたのではなく、それこそ付き合いからかなんとなく彼女がそう感じていたのだ。
だから契約書だの誓約書だの、最近の彼女の目を困らせていた机に散らばった書類を片付けられる。普段まじめな彼女にとって考えられないその光景をなんとかしようと思っていたから、都合がいい。どうせ、彼がきたら片付けさえも放りなげて彼といる自分がいるのだから。
そう思っていたからこそ、彼女はそのメモを見た瞬間に驚きを隠せなかった。この「付き合い」から生じる予感は、ある意味当たっていたのだと。
彼にとって唯一無二である美しいヴィエラの相棒が残した文字だけが、彼女を驚きから生じた遠くに行ってしまった意識を現実に呼び戻してくれた。
− バルフレアが倒れた。今夜、彼を連れてここにくる。









「悪いわね」
「気にしないで。それより、明日の朝までには・・・」
「わかってる。まぁ、それまでに彼が起きて気づくでしょうけど」
「そうだといいのだけど・・・。ありがとう、フラン」



それじゃあ、といって彼の相棒は美しい銀髪を靡かせていつもの飛空挺に戻って去っていった。
それを見送った彼女は、すぐさま自分のベッドへと戻った。そして、苦しそうに息をしながら眠る彼の額にそっと手を当てた。
− これじゃあ、イヴァリースきっての天才的空賊と呼ばれる彼が倒れるのも無理はない。
困ったわね。ふぅ、と溜め息を吐いて彼女は城の住人と彼を起こさぬようにそっと部屋を抜け出し、とりあえず解熱できるものを急いで取り寄せる。
正直、彼女にとって医者も呼ばずに熱で唸る人物を看病するのは初めてだった。だから、急ぐ意識とは反対にどうも行動が持て余る。つまりは容量が悪い。
唯一思いつくものといえば、氷とタオルと薬。あと、額にのせてもすぐに温まる冷やしたタオルは、こまめに取り替えないと。
粗方用意したものを近くに置いて、彼女は苦しそうな彼の額に手を当てながら眉をひそめてみつめる。
こんな彼を見るのは初めてだから、不安になる。それこそ、彼がどこか遠くへ行ってしまいそうで。
そんなことを思うたびに頭に過ぎるのは、死者と対面したあのとき。今でも思い出せば鮮明によみがえる。暗い景色の中で一人たたずむ自分なんて、もう見たくない。
起こして、薬か水を飲ませたほうがいいのだろうか?それともこのまま寝かせるほうがいいのだろうか?
そう思った途端に、ベッドの空賊は薄く目を開けて上手くまわらない口をまわした。



「み、・・・みず」
「水?わかったわ、待って」



彼女は急いでコップに冷やした水を注ぐ。そして彼の上半身を少しだけ起こしてそれゆっくり流し込む。
3分の1を熱で火照る体内に入れたところで、彼はまたベッドに入る。
無理しないで。彼女のその心配を表す言葉にさえ碌な返答もできない。彼はぎりぎりの意識で思う。
心配させないと誓ったのに、情けない。でも今できることは、眠って、意識が整うのを待つだけだ。



「大丈夫・・・だから、よ」
「え?」
「そんな・・・心配そうな顔、するなって」
「だって・・・」



死ぬわけじゃねぇよ。彼は苦しい呼吸を落ち着かせながら、口元だけ微笑んで見せる。
そうね、と。うっすらと目を閉じて眠りについていく彼に微笑みながら、彼の手を優しく握った。
今だけは、彼に安らかな眠りを。









・・・目が覚めると、まず初めに見慣れたまだ薄暗い天井が目に映った。ぼやけた頭の中で、この部屋に至るまでの自分の記憶をたどっていく。
すると思い出したのも束の間、自分の右手に優しく触れる人肌を感じた。未だ重い身体を少しだけ動かし、ぼやけた目がその温かさの正体にたどり着く。
美しい茶色の髪に顔を隠した、唯一無二の愛しい彼女がいた。最も彼女は小さな寝息を立てて、安らかな夢の世界の中で眠っている。
その瞬間に思わず微笑んでしまう。彼女が自分の看病の間に眠ってしまったことくらい、考えなくてもわかる。だからこそ、昨日よりはまだ軽い身体の自分がいるのだから。
額に置かれたタオルをはずして上半身を起こし、左手で彼女の髪にそっと触れる。夜明けまでまだ時間があるだろう。せめてそれまで、彼女を正しい位置で眠らせないと。
繋がれた温かい右手をそっと解いてベッドから降り、彼女を優しく抱きかかえてサイドテーブルを挟んで右隣にあるひんやりしたベッドへ運ぶ。
いつもなら小さな動きでも起きてしまう彼女が、ここまでしても起きないとは。この前まで散らかっていたテーブルの書類が整頓されていることが、彼女をいつもより遅く寝かせてしまったことを証明していた。
ありがとな。彼は彼女に小さくそう呟くと、額に手を当ててそっとキスを落とす。
すると今まで動かなかった彼女が少しだけくすぐったそうに頭を揺らすものだから、彼はまた微笑む。
そして静かな夜明け前に響く小さな騒音を感じて、彼はベランダに行く前にメモを残した。



彼女がそれに気づいて微笑むのは、朝日に照らされた安らかな眠りのあと。