久しぶりの雨だった。ここ最近続いた快晴とは打って変わって、どんよりと重い雲がダルマスカの地上を覆い隠す。
乾いた大地に降り注ぐ一雫。それはどこか、彼女が重い過去と一緒に流した涙の静けさに似ていた。
自分に触れるものすべてを近づけさせないかのような表情。肩に圧し掛かる現実という残酷。労わりも優しさも哀れみも、そのときだけはお手上げだった。
二人きりで残された、神の御前。生者と死者 − 現在と過去は、どこか似ているようで明らかに違っていた。

そっと触れ合わせた手に、いつもの温かさはなかった。握り返す優しさもなかった。あったのは、ただそこに存在するという形だけ。
彼はもう、過去のように私に微笑みかけることなどない。抱きしめることもない。長い時間が経ち、あるとき不とそれを実感した。
窓の外は雨だった。まるで全てを洗い流すかのように降り注ぐそれは、涙で滲んだ幻想ではなかった。
誰かがこちらにきて、私にそっと促した。彼の薬指に光るそれは、今あなたが身につけなさるべきだろうと。



バルフレアが普段、彼女と手を触れ合わせることなど滅多になかった。そんな奥ゆかしいことをするくらいなら抱きしめたほうがマシだ。それが彼の言い分だった。
けれども彼女にとって、それは不服だったらしい。彼が手を握るのは、必ず互いの素肌に触れるときだけだった。それも、痛いくらいに強く。
どうして、と。彼女が問いかけても応えはさきほどのものと一緒。そういわれてしまえば、あとはどうにもできない。
今日だって、飛空挺から部屋へ来るときに濡れたでしょうと差し出したタオルを、礼の一言を添えながら自分の手に触れることはなかった。
彼好みの形ではないから?もう少し細いほうがよかった?けれどもそれはつい最近のことであって、昔はそうじゃなかった。
些細なことなのに、こんなにも気にしてしまう自分がいる。それは明らかにダルマスカの未来よりも小さなことなのに、今彼女の頭の大半を占めるのはその疑問ばかりだ。
恋をするとおかしくなる。昔読んだ難しい哲学の本に書いてあったのを覚えている。その通りだと彼女はうなずく。
自分の中で相手の考えを読み取ってみても、結局はわからずじまいだ。その次に書かれていた文章はそうだった。ならば、聞いてみるしかない。
大きな窓の先に広がる雨を見上げたまま、彼女はソファーに寝転がる彼にそっと問いかけた。



「・・・もう少し細ければよかった?」



なにが。返答は素早かった。彼女はゆっくり目先を窓の外から彼に移す。
突然の問いかけにまったく意味がわからないと彼は顔をしかめながらも、未だに寝転がったままだ。



「手」
「なんで」
「もう少し細いほうが、あなた好みだったんじゃないかしらって」
「意味がわかんねぇんだけど」
「そしたら触れてくれたかしらって」



彼女はそれだけいうと、また視線を窓の外に移した。バルフレアはといえば、彼女のその問いの意味を考える。
けれどもどう考えても答えは浮かばず、彼は起き上がり、窓を見つめる彼女のもとに行った。



「なんの話?」
「まだ続いてたの?もうどうでもいいわ」
「どういう意味」
「あなたが私の手に触れない理由はなんなのかしらっていう意味」



だからそれは、そう続けようとした彼の答えは、彼女のわかってるわよという一言で終わった。
手を重ねるのが昔から好きだったの、と。彼女は続ける。だから、あなたがそうしないのが少しだけ寂しいの。
この景色を見たら思い出す。冷たく硬直した亡夫の手を、何時間も握って泣いていたときのことを。
どれだけ経っても温かくはならないことはわかっていた。けれどそれ以外にどうすることもできなかった。代わりに温かくなる彼の左手の薬指に光る指輪だけが、唯一時間が経つことを教えていた。
彼が握り返してくれたその優しさが好きだった。たまに触れる彼の指輪がくすぐったかった。だからこそ、悲しかったのだと。
寂しそうに窓に映る彼女の表情に、彼はやれやれと頭を抱えて話した。



「嫌いなわけじゃねぇよ」
「え?」
「手」
「じゃあ・・・」
「俺は王子様みたいにお前に指輪なんぞあげられねぇから」



バルフレアのその答えに、アーシェは思わず自分の隣にいる彼のほうを見る。驚いたのだ。
そして窓に触れていた自分の左手をそっと見る。水滴で冷たくなった指先と、薬指と中指に光るお揃いの指輪。
彼女がそれを身につけているのはいつものことだった。たとえ彼が来たときでも、それをはずすことなど決してなかった。
一度は、自分の未来と一緒に彼に差し出したもの。躊躇した私に嫌なら断ると宣言された大切なもの。
彼がここにくるようになってから、気にしねぇからという彼に従ってつけたままでいたのに。



「気にしていないんじゃなかったの?」
「昔は。でも今じゃ気になって仕方ねぇよ」
「どうして」
「王子様のように素直になれないんでね」



自分のものにはできない歯がゆさと、それをやってのけた王子への嫉妬。
もし今のような立場でなくても、きっと自分はこれ以上のものを彼女に渡すことはできないだろう。
そう思うと必然的に彼女の手から目を反らすことになってしまった。



「・・・それならそうと、早くいってくれればよかったのに」
「生憎それを認めるほど余裕はないんでね」
「あなたとの関係に、形なんていらないわ」
「わーってるよ。もうそれ以上いうな」



確実に大きくなっていく存在。それを認めたくない自分。そんな歯がゆい自分に呆れる。
けれど、彼女を手放す気には決してなれない。どの国にもない、宝石以上のものだからこそ彼がここにくる意味をもつ。
彼は彼女の冷たい手をとり、そっとキスを落とすと、バルフレアは彼女を抱き上げてそっと笑った。