つれだして、とは誰もいってない。彼女は自分からそんな大それたことをいえるような無責任な人ではないし、バルフレアはそもそもつれだす側の人間だ。
では何故。彼の自慢の美しい飛空挺の助手席に座り、彼の手馴れた操縦と夜の景色を平行して眺めている自分がいるのは。
彼はといえば特に何事もないように鼻歌なんて口ずさみながら、先ほどから見つめる彼女の視線なんて気にもせずに大きな機体を動かしている。
− 時々、彼の考えていることがわからなくなる。否。それはいつもわからないのだが。
けれども愛していると囁くときの彼は、驚くほど優しい瞳でこちらを見ている。まるで世界に二人だけしかいないかのような。
自分はこんなにも − たとえば胸が張り裂けてしまうのではと本気で考えるくらい愛しいと思う。でも、彼は?
結局、恋愛なんて堂々巡りだ。相手が自分を本当に愛しているかなんて、本人以外誰もわからないのだ。最大限に伝えることはできるかもしれないが。
それでいい。相手の全てや彼が自分を愛しているかなんて、今の自分には皆無だ。問題は、もっと別のほうにある。
そこまで考えを巡らせ、改めて彼を見る。恋愛にサプライズは付きものだ。今度は彼がこちらを訝しげな顔で見つめていた。
「なに」
「いや、別になにもねぇけど。1人で百面相してっからよ」
「考えていたの。どうして私はこんなところにいるのかしらって」
「そりゃあ、俺が誘ったからだろ」
「だから。その理由を考えてたの」
本当は別のことも考えていたけど。そこまでいう必要はないし、その理由を考えていたのも本当だ。どちらとも結論には至ってないけど。
特に意味はねぇんだけど、と彼は応える。けれど特に意味はなかったら、それこそこんな場所に自分はいない。
彼との会話は、ちょっとした連想ゲームにも発展する。「特に意味はない」というその言葉の奥には何があるんだろう。
「ダルマスカ上空ドライブ。それも、最高級の飛空挺で、だ」
「・・・こんな時間に飛び回っている機械はきっとこれだけよ」
「いや、今日はやたらとロザリアの飛空挺を見かけたな。なにやらナブディスのほうで財宝が見つかった、とかなんとか」
「こんなところにいてもいいのかしら?イヴァリースきっての空賊さん?」
「生憎、その情報は嘘でね。ナブディスの財宝はあの悲劇のときに全部ぶっとんじまった」
「さすが、なんでもお詳しいのね」
皮肉たっぷりの会話は日常茶飯事だ。むしろ、これで会話が成立しているのだからおかしなものだ。
それでも全然嫌気がしないのは、単にもともと彼が頭の切れる人であって − それを受け止められる自分がいるからだ。
望んでいるのは互いだし、終了できるのも互いだ。けれどもそれが終わってしまえば、一緒にいる意味などない。
ふいに放った一言が、ここまで築き上げてきた関係を一気に崩す引き金になりかねない。つまりは駆け引きだ。
「ついたぜ」
その言葉が口にされたのは、王女の私室をこっそり抜け出してからしばらくしてのことだった。
差し出された彼の優しい手に引かれ、飛空挺を降りる。降り立った地は小高い丘の上だった。
「・・・ここは」
「ナルビナ国境付近。2年前のあの戦争で、ダルマスカが大きな痛手を負った場所だ」
そして、そこはお前の夫が戦死した場所だと。バルフレアはそのまだ若い妻を真っ直ぐに見つめていう。
心が抉り返りそうだった。彼は知っていてこの場所に自分をつれてきている。それは彼女にとってフェアだった。
でも、彼の意図は降りたときからわかっていた。目の前に広がる景色が、なによりの証拠だ。
2年前とはまるで違う。血塗られた街は戦前のように夜でも明るく、一歩街に入れば今でも賑わいが聞こえてきそうだ。
なにもいうことができなかった。変わっていく街と、それを見せるために、自分を狭い城から盗んでここにつれてきてくれた彼の精一杯の優しさに。
風が、アーシェの軟らかい髪をそっと一撫でする。まるで、死んでしまったあの人との思い出に触れるときのように。
2年前のあのときと、気持ちはなにひとつ変わっていない。きっと、自分が生涯で愛する人はあの人だけなのだろう。
彼を失くしたとき。悲しみの涙に明け暮れ、ただ復讐ばかりを誓った自分にも後悔はしていない。だからこそ今があるのだから。
けれども、自分はそればかりではないのだ。私は私。ただ、自由でありたい。それを教えてくれたのは紛れもないあの人だ。
そして、今、となりにいるこの人も。
「・・・2年前の私なら、きっとこの場所にくることなんてなかったでしょうね。怖くて、くることなんてできなかった」
「来ても、ただ復讐を誓うばかりだった、と」
「あのころの自分を否定するつもりはないの。いつも必死だった。ほかのものを寄せ付けられる心の余裕なんてなかった」
「王女から、しがない解放軍の一員としての生活、か」
「でも、不思議よね。今の私はここに真っ直ぐに立っていられる。となりには、あの人とはまるで違う人がいて」
「生憎、王子のように品行方正な人間ではないんでね」
そうじゃなくて。彼女は続ける。あの人とはまるで違うような人でも愛せる心の余裕ができたのよと。
大人びた凛とした表情に、少しだけあどけさが残る少女の面影を見せながら。照れくさそうに彼女はそっと微笑む。
彼はか細い彼女を抱きしめることで、その想いに応えた。思いもよらなかった彼女の想いに少しだけ戸惑いながら。
恋にサプライズは付きものだ。ならば、恋にも王道があってもいいだろう。
そっと顎をとり、彼女の小さな唇に自分のそれをのせる。なににも変えられない沈黙が包む。
そっと離せば、彼女は泣いていた。声もださずに、まるで一雫が彼女のあふれ出した想いのように静かに。
ごめんなさい。彼女はそう呟く。
その意味はどちらにでもとることができた。愛した亡き夫に向けた謝罪か、空賊の自分にのこのこついてきた自分自身にか、それとも突然涙を見せたことか。
どちらでもあるような気がした。けれども、もしそうだというのなら、彼女はあまりにも繊細すぎる。
過去に囚われた者が、その呪縛から逃れられる方法を見出したとき。それは呪縛から自分の一部となり、足かせは強さに変わる。
「アーシェ」
どうか、もうこれ以上彼女が苦しむことなどないように。そして、どうか自分が彼女の支えになれるように。
名前を呼ぶことでしか、目の前で泣く愛しい人の幸せを願っていると伝えることができなかった。