昔からそうだった。自分が大切だと思ったものに限って、必ずそれはいつの間にか消えていった。
たとえば城の庭で見つけた花。気に入った花を摘んでは部屋に持ち寄って飾った。水につけておくのも忘れずに。
けれどそれから数日後には必ずそれはなくなっていた。
どうしてと兄に問えば、あの花はもう枯れてしまったからと残念そうに私に話した。
放っておけば悲しまずに済んだのに。そう話した私に、兄はそれならもっとかわいそうだろうと髪を撫でてくれた。

昔からそうだった。私の大事なものがなくなれば、誰か必ず髪を撫でて励ましてくれた。
けれど、あなたを失くしたあの日以来、私の傍にいてくれる人は誰もいなくなった。
兄も父も、兵士たちも。気が付けばいつの間にかいなくなって、私は一人ぼっちだった。
それでも弱音を吐くわけにはいかなかった。たった一人残された私だけが、死んでいった者たちの仇を打てると思っていたから。
感情なんて振り捨てて、目の前に立ちふさがる敵を跳ね除けて、どうしてもダルマスカ復活の力がほしかった。

結局は、あなたの父と一緒だったのね、私。
彼女は悲しそうに微笑み、バルコニーから夜空を見上げる彼を見た。



様子がおかしいことは、彼がこの部屋に来たときからわかっていた。あえて口にしなかっただけで。
彼の口からその話がでるまでは、黙っておこう。これが彼女が彼に与えた最大限の優しさだった。だからいつものように彼女は接した。
ただ、いつものように軽口がでてこないのだからどうも歯切れが悪い。それは互いが一番わかっていた。
どちらからともなく耐えかねなくなり、しばしの沈黙が流れる。彼女はいつものようにソファーに座り、彼はバルコニーへとでる。
時間の問題だと感じたのか、彼は静かに宙に話しかけた。
彼の父が死んでちょうど、今日で1年なのだと。



「俺は結局、あいつになにもしてやることができなかった。あいつから教わったことはたくさんあるってのに」



彼女は遠くから、その言葉の意味を優しく受け入れる。それはつまり、今はなにも話すべきではないということだった。
肯定するわけでもなく、否定するわけでもなく。主観的になるわけではなく、客観的になるわけではなく。
同じ悲しみを今も抱えている者として。言葉にしなくても、その想いは十分に伝わるから。



「今でも思う。もし俺があのとき出て行かなかったら、今でもあいつは生きてたんじゃないか。たとえ破魔石に取り付かれていても」
「・・・」
「あいつはあいつじゃなくなった。父親でもなくなった。だけど、いるといないのとではまるで違う」



− なんてな。彼はそう続けて、いつものポーカーフェイスに戻る。彼が見つめている先は暗がりでわからない。けれどわかるのは、彼は今自分を見てはいないということだ。
アーシェは、自分の左手の中指をそっと握る。彼のいるバルコニーからの月明かりにそれは照らされる。
自分もそうだ、と。彼女は改めて思う。自分もまた彼と同じ思いでいるのだ。
もしもあのとき、自分のせいであの人は、自分が引き止めていたら − 過ぎるのはそんな後悔ばかりだ。
過去に縛られない。そう決めたとはいっても、未だ捨てきれない自分がいる。でもそれは、きっと弱いことではない。

空賊という自由な暮らしを手に入れた彼は、上辺こそ本当に自由な人間だが、実は大きな傷を負っている。
それはある意味で彼女と彼を繋ぐ傷でもあった。時はいつであれ、大切な人を失った悲しみに大きさなどほとんど関係ない。
ならば、この自分にできることがあるかもしれない。彼がどうか、本当の空賊になれるために。
アーシェはそっと立ち上がり、彼のいるバルコニーへと足を運ばせた。そして下を向く彼とは反対に、星の空をそっと見上げる。



「・・・ダルマスカの夜は静かなの。だから、普段聞こえないものが聞こえるのよ」
「なんだそれ」
「あなたの心臓の音まで聞こえるのよ」



そうして彼女はその細く白い手を、彼の左胸にそっと当てる。規則正しく動くそれは、彼が今を生きているなによりの証拠だ。
そうでしょ?と、アーシェは続ける。



「・・・死んでいった者が残すものは、あまりにも残酷だわ」
「・・・」
「あの人が私に託したのは復讐だった。復讐して、ダルマスカを復活させて、私は歴史に残る聖女になる」
「・・・」
「でも、おかしな話よね。あの人、私に一言もそんなことをいっていないのよ」



どこで食い違えたのかしら。アーシェはいう。それに、今ではあの人とはまるで違うあなたを愛してるのと。
微笑みかけた少女に、忍び寄っていた復讐の重荷や孤独の影は見られなかった。それはつまり、彼女は自分なりに過去を受け止め、浄化したからなのだろう。
いつか、この場所で自分は星を見ながら − 俯いて話す彼女の過去を聞いていた。私もあなたの父と一緒だったのねと。
そっと下を見れば、彼女は悲しそうに微笑んでいた。そして自分をまっすぐに見ていた。それはそれは、美しい瞳で。
今の自分もそうなのだろうか。たった一瞬だけ、いつもの強い自分を捨てて素直に話した彼女のようなのだろうか。だとしたら、ここにいる人間は数少ない特別な存在だ。
いつの間にそんなに大きくなったかねぇと、彼は心で呟く。けれども、それは彼女も同じようにして自分が大きな存在になっていったということだ。
瞳は言葉よりも雄弁に語る。心配そうに見つめた彼女に、バルフレアはいつものように意地悪そうに微笑んだ。



「王女様は国と自分のことだけ心配してればいいさ。他人の心配なんて無用だ」
「失礼ね。これでも私、それ以外のものを受け入れられるだけの心の余裕があるのよ」
「だからって、俺の過去を受け入れる必要はねぇな」
「・・・愛してる人が傷ついてるときに、なにかしてあげたいって思うのはおかしなことかしら?」



彼女はつんと横を向いていう。いや、別におかしなことじゃねぇが。バルフレアは応える。
男としては、こういうのは恥ずかしいんでね。
少し照れながらいう、アルケイディアの名家ブナンザ家出身の空賊に彼女はまた微笑みながらいう。
どんなあなたでも愛しているのよと。