「帰る」
「待って、あれは違うの。ちゃんと理由を聞いて」
「理由を聞く権利なんぞ俺にはねぇな」
「あなただから権利があるの。誤解したまま帰らせないわ」



バルコニーへ早足で向かうその足を止める。否、止められたといったほうがいいだろうか。
彼女が自分に与えられる精一杯の優しさと願いで、逃げようとする空賊の腕を引きとめた。
振り返れば、グレーの強い眼差しが自分を映す。しかしその奥に隠された不安を、今彼は汲み取ることはない。
それと同じように彼女もまた、彼が胸中に抱えている自分の行動への軽率さを汲み取ることはない。
ボーダーが引かれる。互いの想いを知っていながら、それをあえて口にすることはない。それは過ごしてきた時間故か、くやしさか、相手を想う優しさからか。
どちらにしろ、今彼と彼女が直面している時間の残酷さは容赦なく降りかかる。

− いつかはそんなときがくると知っていたはずだ。今さらなにをいっているんだ。
所詮、いつかは途切れてしまう糸で結ばれた仲だ。切り離した先になにがあるかもわからないし、そもそもそれは運命だったのかさえわからない。
高望みをしていた自分がいる。だけどそれを認めたくはない。彼女を愛している。だけどそれでは自分も彼女も滅んでしまう。



バルフレアがいつものように、バルコニーからアーシェの私室へやってきたのは2ヶ月ぶりだった。
遠い国へ行っていたという理由、そしてその国でお宝がてら見つけた王家の宝石を「土産」として差し出す。彼の計画は完璧だった。
そしてその直後に見せられた、計画の崩壊を示す光景。それはたった一瞬のことだったけれど、彼バルコニーへ向かわせる理由を作るのには十分だった。
彼女と、彼女を愛しく抱きしめる男。服装からして、明らかに国の関係者だ。
そして不意にこちらを向いた彼女に背を向けて、すたすたと何事もなかったかのように歩き出した。
途端に聞こえた彼女の慌てた声と、その男の驚いた声。慌てて鳴る靴が床を蹴る音。
早くバルコニーへ行きたかった。けれども生憎自分のプライドが走ることを許さない。ヒーローは去り際が肝心だ。
そしてようやく自分を待つ飛空挺まであと30メートルというとき、腕に温かい体温を感じた。



「ただの国の関係者よ。さっき抱き合ってたのは・・・あの人が、私を好きというから」
「好きならなんでも許されるのかよ」
「最後に1回だけというから、渋々承諾したのよ。王女じゃなかったら断ったわ」



腕を掴む手の力は弱まる。けれども彼女は変わることなく強い眼差しでこちらを見る。
それだけいわれれば、今の自分に彼女を問い詰めたり、まして疑ったりすることはできない。理由があるのだ。
もちろん、自分にだって理由がある。でもそれは理由ではなく、手にすることはできない嫉妬という他人の束縛だ。
わかっていながら、それを隠せずにいる自分がいる。制御できないほどに彼女を想う自分に目眩がする。
政略結婚なんてざらにある世界で生きる彼女に、自分以外の誰ともいるなという要求をするとは。まして、自分も彼女とは一緒になることができないのに。



「ごめんなさい。あなたが望むなら、もう二度と彼には会わないし、男性をこの部屋に入れることはしないわ」
「・・・」
「・・・もし、あなたがもう私に会いたくないというなら、私は止めることができないわ」



強い眼差しは彼女が一言話すたびにしだいに俯いていく。強い口調も弱く掠れていく。
そうじゃない。素直にそういえたらどんなにいいだろう。
今にも崩れてしまいそうな彼女の細い腰に手を回して、奪い取るようなキスができたら。
今の自分にできるのは、彼女の手を優しく解いてバルコニーへと足を動かすことだけだった。



「・・・次に来れるのは明後日だな。これから特に遠くへ行く予定はない」
「・・・え?」
「ダルマスカ最高級の酒を用意して待っとけ」



悪かった。彼は早口でそれだけを言い残して、すたすたと歩いていく。
彼女はそれ以上引き止めることはなかった。引き止めなくても、彼の気持ちは十分に伝わったから。
お互い、あと一歩が踏み出せないのは同じだ。
彼女はあと少しだけここにいてとはいえないし、彼はここにあと少しだけいたいといえない。
完璧とはいえない。けれども、それでも一緒にいたいと願ったのは自分たちだ。
名残惜しそうに空に浮かぶ飛空挺を見つめる彼女の瞳と、いつもより早く去っていく彼の背中が雄弁にそれを語っていた。