散りばめた朱いバラは乳白色の水面の上を漂う。どこへ行くわけでもなく、それはただ美しく染め上げる。
白い水面と美しいバラの中で、王女は一人だった。
すき、きらい。そう呟きながら朱を散らす彼女の顔はどこか寂しそうだ。そしてそんなときさえも、彼女の想いの方向はいつだってあの人に向けられていて。
いやなのよ、正直いって。心の中でそう吐き捨てても、どうにもならないことくらい知っている。それでも吐かさずにいられないのは、どんなときも − そうたとえば今みたいなときだって、彼を想う自分がいることを知っているから。
終わりのない恋かもしれないけど、始まりさえなかった恋だ。あれから随分の時は経つけれど、未だに彼の全てを知るわけではない。否、たとえどんなに時間をかけても彼の全てを知ることはない。
− それなのに。
そこまで考えを巡らせて、彼女は首下まで乳白色に染めることで無理やり思考を閉ざした。切がない。
どうしてこんな痛い思いばかりするんだろう。恋は痛い。まして、彼との恋なら尚更。
幸せではないといえば嘘になるけど、幸せかと問われて素直にそうだと頷くことができるかといわれれば、そうではない。
彼が時々わからなくなる。否、それはいつものことなのかもしれないけれど、今まで彼女は彼が与えてくれたヒントを頼りに彼の想いを自分の中で紡いできた。その全てを見る瞬間、私はいつも幸せだった。
だけど、今回は何もわからない。何を想って、何をしたのかもわからない。何も1つに繋がらない。
冷たい目、無関心、笑わない表情、強引に彼女を奪い取った唇。そして紡がれた言葉。
二人だけの恋に終わりを告げる、さよなら。
「・・・なんの話だよ」
「知らないの?今街で流行ってる小説の一部分よ。流行ってるっていっても、復刻版なんだけど」
「生憎、小説を読むような柄じゃねぇんだ」
確かに。彼女は彼とのあらゆる出来事を思い返してみることで納得した。
そして穏やかに笑って、細く白い片方の手のひらで水面の一部を掬う。
「今の私とあなた、この小説と同じなのよ」
「なにが」
「これ、王女様と空賊の恋愛小説なの。それに、王女様が一人で乳白色のお風呂に赤いバラを散らしながら唐突に別れを告げた空賊の彼を想う場面があるの。ちょうど、今の私みたいに」
「へぇ・・・って、出来すぎだぞ。俺がここに来てんのバレたのか?」
「そうなの。それで、直接私にその関係を断ち切りなさいっていうのもなんだかかわいそうだから、小説にすることで私たちに警告することにしたのね」
・・・なんて、冗談だけど。
彼女は少し深刻な顔をしながらいつバレたんだと考え込む彼に、笑って付け足した。
それを聞いた彼は、やれやれと”王女様”の突飛な冗談にやられたとでもいうように頭に手を当てる。
「でも、本当にそっくりなの。出会いとか今の関係になるまでの過程はそれこそ全く違うけど、なんだか小説の中の登場人物とは思えないくらい似てる」
「それを書いた小説家さんは勘がいいな。想像上の人物に似たやつがここにいるんだ」
「でも、このお話が書かれたのは50年以上前よ?マネをしたのは私たちのほうね」
彼女はそういって笑いながら、乳白色の水面と赤いバラを優しく掻き分けて、彼の後ろに回って髪を洗う。
茶色の彼の髪は、二撫でほどするとすぐにシャンプーに馴染んだ。
「・・・で、結局どうなったんだ?その二人は」
「いろいろあって、最終的には別れてしまうの。そして二人は死ぬまで会うことはなかった」
「悲恋かよ」
「昔の人は随分シリアスなお話を好んでいたから」
彼女は彼の髪を洗う手を止めることなく少しだけ笑いながらいう。
そして、彼に少しの間目を瞑っててと軽く促して、訝しげに目を瞑った彼を確認すると、泡と水で彼の髪にいたずらを施した。
なにしてるんだと彼が問いかけても、答える返事はない。そのかわりにささやかな彼女の笑い声が甘いバスルームを包む。
はい、できた。彼女の忙しく動き回る手が止まると同時に頭上から目を開けてもいいとの許可が出され、一番に飛び込んできた目の前にある鏡に映し出されたのは、自分の間抜けな髪型と彼女の笑顔。
泡で固められた髪は至るところが尖っていて、明らかにセンスの悪い髪形へと変形していた。そして製作者である「センスの悪い」彼女は自慢げに鏡を見て微笑んでいる。
過のイヴァリースきっての空賊の間抜けな髪型に、笑い声と呆れ声が同時に響いた。
「・・・お前、センスが悪いにもほどがあるぞ」
「一度やってみたかったの。どんなに似合うんだろうって」
それだけいうと、鏡の中で彼と目が合って、彼女はまた彼の後ろで笑い転げる。
愛しい彼女のささやかないたずらに呆れた彼はといえば、目の前に映し出された自分に一笑する。
そして未だ笑い続ける彼女に仕返しをするべく、自分の髪を洗い流したあとに、彼女の後ろに行ってシャンプーを手にする。
「なにするの」
「髪を洗うんだよ。じっとしてろ」
そして目を瞑るよう彼女と同様に促して、抵抗の言葉を並べる彼女を微笑と共に軽く受け流す。
柔らかい彼女の髪を洗いながら、彼はさきほど止まってしまった話題について思い出したことを告げた。
「・・・さっきの話、俺も昔読んだな。それこそ10年ほど前だったか」
「そうなの?」
「あぁ、今気づいた。嗜みの1つで、嫌々読まされたんだ」
「そんな柄じゃないのにね」
目を瞑ったまま笑う彼女に、うるせぇと彼は悪口を1つ付け足す。
そして不と気づいた彼女との「違い」を話した。
「それで、結末が違うんだよ。お前が教えてくれたやつと、俺が読んだやつとは」
「え?」
「俺のはハッピーエンドだった。つまりは、王女様と空賊は結ばれたってわけだ」
「本当?だとしたら、やっぱり国で結末は違うのね。ビュエルバの人もハッピーエンドだったっていってたの。悲恋で終わったのはダルマスカだけなんて」
私もハッピーエンドがよかったわ。そういって彼女は口を尖らせる。
彼はといえば、徐々に出来上がってきた彼女の髪形に笑いながら話を続ける。
「まぁ、いいじゃねぇか。どうせ想像だ」
「でも、それでも私はハッピーエンドがよかったわ。バッドエンドは、なんだか縁起が悪いじゃない」
本当にそうなってしまいそうで。
そう続けた彼女の言葉を無視して、彼は出来上がった完璧ないたずらを見せるべく目を開けるよう彼女に促した。
しぶしぶ目を開けた彼女の目に飛び込んできたのは、やっぱり予想通りのもので。
「・・・あなただって、センスが悪いわ」
「結構。髪が長い分苦労したぜ」
「こんな暇があるなら、さっさと新しい財宝でも探しに行ったら?空賊さん?」
「生憎、王女様がそうさせてくれないんでね。最近の嫉妬の相手は財宝だって聞いたぜ」
誰から聞いたのよ。彼女はそういって笑う。
生憎、空賊なんでね。彼はそういって出来上がった尖った彼女の髪を見て笑う。
ひどいわ。そういいながらシャワーへと手を伸ばす彼女の手を彼は素早く止めた。
「なにするの」
「作って壊すまでが俺の仕事だ。とられちゃ困る」
「あら、わかってるのね」
そりゃあ空賊ですから。彼はシャワーを手に取り、微笑んだあと目を瞑った彼女の髪に手を伸ばす。
そして素早く彼女の唇にキスをしたあと、髪を洗いながら、悲恋の心配はねぇなと笑いながら付け足した。