暗く永い道だった。どれだけ走っても光にたどり着くことはない。ただ永遠に、無限に広がるだけ。
こんな場所から早く逃げ出したくて、呼吸も侭ならないのにずっとずっと叫び続けていた。
そう、今は遠くの場所にいるあの人の名前を。
・・・噛み合わない不規則な呼吸で目が覚めた。広い部屋は真っ暗で、まるで夢の続きがこれから始まるようで無意識に身体が震えた。
たぶん、今自分はものすごく怯えた顔で泣いていたのだろう。涙は図らずとも見えないけれど、冷たい部屋の空気が涙の跡を残していた。
落ち着かなくては。アーシェは自分に言い聞かせる。なにも、これが初めてではないのだから。
荒い呼吸を落ち着かせ、ぎゅっと目を瞑る。悲しいことは忘れるのが一番いいからといってくれた、あの人をそっと信じて。
けれどもそれは背中の後ろでもぞもぞと動き、抱きしめていた手をぎゅっと強くされたことで阻止されてしまった。
「・・・オイ」
・・・大丈夫か。耳元でバルフレアの眠そうな声が聞こえた。もちろん、夢の中で呼び続けたあの人の声ではない。
大丈夫よ。アーシェはそう伝えることで、未だ上手く呼吸できない自分を落ち着かせた。
すると大丈夫ではないと感じたのか、抱きしめる手は自分のほうへ向かせようと強引に且つ優しく手で招いた。
「・・・なに泣いてんだよ」
「なにもないの、本当に。ごめんなさいね」
こんな嘘をいったところで彼が納得して眠るはずがないことを知っている。けれどそれを口にしてしまえば、少なからず彼は傷つくだろう。
彼の想いはこんな夜、言葉なくしても痛いほど伝わってくるから。そして、出来ればそれにずっとしがみついていたいから。
けれど、身が震えるほどの不安か、それとも暗がりでもわかる彼の本当に心配そうな瞳のためか − 夢の中の同じ映像だけが頭の中を過ぎって眩暈がする。
おやすみなさい、心の中を隠してそれだけいうと、アーシェはまたバルフレアに背を向ける。
今度は強引に引き止める腕はなかったけれど、そのかわりに強くしなやかな腕が後ろから華奢な彼女の身体を抱きしめた。
「・・・夢だからよ」
「え?」
「今見た景色がここにあるわけじゃねぇよ」
優しい声だった。彼女の柔らかい髪に顔を埋めて彼は話す。夢だから、と。
震えで強張った彼女は何もいえなかった。ただ、張り詰めた空気が徐々に和らいでいくのを遠くで感じる。
「どんなものだったか知らねぇが、こんなふうに震えられたら心配するだろうが」
「・・・だって」
「頼むから、少しは持たせてくれよ。お前が持ってる重荷とやらを」
その言葉に驚いたのは、もしかしたら彼女以上に自分だったのかもしれない。
驚き振り向こうとした彼女を優しく止めて、きっと照れくさそうに微笑んでいるであろう自分を見られるのを阻止したのだから。
彼女はそっと深い溜め息を吐き、自分を落ち着かせる。
「本当に、なんでもないの。私が持ってる重荷は、きっとあなたには抱えられないわ」
「なんで」
「こんなにもあなたが好きで、こんなふうに抱きしめられるだけで安心してしまう私の心。あなたは受け止められないわ」
重すぎるもの。そういって、彼女は小さく笑った。
すると耳元で予想したとおり小さな微笑が聞こえて、同時に抱きしめる腕が強くなった。
「奇遇だな。俺の重荷もそんなもんだ」
「・・・じゃあ、お互い抱えきれないのね。私たちはなんて不幸な人なのかしら。自分で手いっぱいなんて」
「そうか?相手の一番の重荷が自分への恋心なんて、これ以上の幸せはねぇと思うけど」
・・・確かに、考えてみればそうかも。彼女をなによりも美しく飾るその笑顔と共に、彼女は納得した。
重荷とか悩みとか、自由を好む空賊である彼が持っているだなんて。それも、私のことで。
そう考えると、彼女の笑みはよりいっそう深いものになる。
それに一番に気づいた「空賊」の彼も同じようにして笑った。
「・・・やっと笑ったな」
「え?」
「どうせ、王子様の夢でも見たんだろ?王女様が泣く理由はそれしかねぇ」
軽くも重くもない口調だった。ただ、広い私室に放たれた言葉は居場所を失った。
彼女はなにもいわなかった。否、いえなかった。
彼女の、本当の「重荷」さえも受け止めようとする彼のやさしさがひどく深く彼女の心に沁みた。
ならば、甘えてもいいのだろうか?この不安を暴かれるのもこのようじゃ時間の問題だ。
「・・・彼は、きっと今でも私を愛してる。そして、私も同じように愛してるわ」
「・・・」
「でも、それだけじゃないから。今は、遠くで見守ってくれてる人もいて、こんなに近くで見守ってくれる人もいる。私、幸せ者よ」
「単純だな」
「・・・でも、遠くにいる人へはまだ近づくことができないけど、あなたになら何度だって近づける」
そういうと、彼女は振り向いて彼の唇にそっとキスを落とす。
そして急いでまた彼に背を向けた。ありがとう、おやすみなさいと。
残された彼はといえば、彼女のかわいいサプライズに照れくさそうに微笑み、彼女をしっかり抱きしめて目を閉じた。