ダルマスカ王女に与えられた私室は広い。少なくとも、空賊なんて不安定な職業柄じゃ一生与えられない部屋だろう。
否。別にこんなところで愛想を振りまきながら過ごしたいとも思わないが。
− 王女がノイローゼにならないようにするため、か。一見過保護な国家の配慮に見えるが、王女を縛り付けるための一種の手段だな。
それを知ってか知らずか、それでも何事もないように国のために忙しく動き回る彼女を想うと溜め息がでる。
彼女は基本的に弱音は吐かない。吐くとしても、それはこの部屋に一人になったときだ。
せめて自分が受け止められる存在になれればいいのだけれど、生憎彼女の由緒正しき王族としてのプライドがそれを許さない。
ふぅ、と。王女の部屋にそれが広がらないように噛み殺しながら、2度目の溜め息。
しかしこれは、1度目の彼女の境遇と態度を想って吐く息ではない。自身のどうしようもできない心情のためだ。
この気持ちの理由は自分が一番知っているが、それをあえて口にすることはない。むしろ、自分の中で留めて、隠しておきたいものだ。
理由付けの溜め息から数秒後、大きな窓から零れた月明かりだけが灯る部屋の扉は静かに開いた。
「待たせてしまったわね」
「いや、別に構やしねぇけど」
この部屋の主 − つまりはダルマスカ王女アーシェ・バナルガン・ダルマスカは、彼の問題の中心人物だった。
「問題」といえば彼女は決まってつんと冷ややかな目を向けるだろうが、この言葉は彼の心情を自身に隠すには丁度いいものだ。
こうして会いにくるようになってからというもの、なにかと考え事が多くなったように思える。
考えるなんて柄じゃねぇのになと、彼は今までの思考を一気に吹き飛ばし、いつものポーカーフェイスで彼女に向き直る。
「ほらよ」
「え?」
唐突に差し出されたものは、万年筆。漆黒のそれは、どこかの王家のものだろうか。
これにまつわるエピソードを聞こうと彼女は差出人を見るが、彼はいつの間にか煙草を取り出し一服する準備に取り掛かっている。
そんな彼女の心情を知ってか、彼は煙草に火を付けながら彼女に応える。
「土産。アルケイディアのものだ。ソリドール家のものかなんかだろう」
「生憎、ここにはソリドール家の者はいないんだけど」
「王族には変わりねぇだろ。まして条約を結んだ間柄だ。あってもおかしくはねぇだろ」
イヤなら返品しますけどと、バルフレアは付け加える。けれどもそれは自分の手中に戻ってこないことを彼は知っている。
アーシェはといえば、簡潔にまとめられたエピソードを自分の中で解釈してその贈り物を受け取ることにした。
基本的に、彼との会話は自分の中で解釈しなければいけないことが多い。面倒なこともあるが、たとえばそれは自分のいいふうにまとめることもできる。
互いに聞きたくても聞けないことは、自分のいいふうにまとめあげる。それが相手にとって間違いであろうと、それは素直になれない互いの問題だ。
「ありがとう」
「フランには笑われたけどな」
「おかしかったでしょうね。万年筆になんか見向きもしないあなたが、それを誰かのために盗むんだから」
「生憎、筆を走らせるような職業ではないんでね」
「フランにしたら、これが珍しいお宝だったわね。盗んだお宝がてら、あなたの意外な一面が見られたんだから」
そういって、彼女はささやかに笑う。こういうとき、バルフレアはただお手上げするしか方法はない。
お前が笑うからいけないんだ − 自分の中で白々しい言い訳を建前に、彼女に手を伸ばす。
彼女の細い身体を抱き上げれば、それから先は互いしか知らない世界。そしてその時がくるのも自分と彼女だけが知っている。
それを知っているかのように、アーシェはバルフレアの首に自分の腕を巻きつけることで応えた。
汗ばんだ素肌に馴染む洗いたてのシーツの波。それは不快というよりは、幸福に似たそれだった。
彼の肌に触れたあと、彼女は決まって口数が少なくなる。疲れている、というよりは、放心状態になっているといったほうがいいだろう。
だけど今日は更になにもいわなかった。別に、なにか話してほしいとかいってほしいとか、そういうわけではないのだけれど。
− 無理しすぎたか。
彼女に会ってこうして素肌を重ねたのは久しぶりだった。むしろ、会うことさえ久しぶりだった。
だからか、今夜は会えなかった時間に募らせた想いを彼女に散々ぶつけた。無論、彼女もそれに応えてはくれたが。
自分の無神経さを少し反省したあと、彼は彼女の髪へと手を伸ばす。
「・・・会えない間、寂しかった」
髪を撫でている途中、彼女はぽつりと呟く。それは部屋の端にいては聞こえないくらいの大きさで。
後ろを向いている彼女が、今どんな表情で自分の心情を述べたのかわからない。月明かりは生憎彼女を照らしてはくれない。
撫でる手を止め、彼女をそっと抱きしめこちらに向かせる。
見つけた表情は暗がり故か、よくはわからなかった。けれどもグレイの美しい瞳は真っ直ぐに自分を捕らえていた。
「今度はいつきてくれるのかと、心待ちにしていたわ」
「3ヶ月も」
「あなたの気まぐれには悩まされているのよ」
彼女の口元が微笑む。だから、今日きてくれて嬉しかったのと。
そういわれると、彼は照れくさそうに笑って彼女の軟らかい髪に手を優しく乗せるしかできない。
こんなことをする自分は初めてだった。彼女以外のほかの女といたとき、こんな愛しい想いを抱えたことはあるだろうか。愛しさで胸が潰れそうなこんな自分がいたとは。
もっと彼女を抱きしめたい。抱きしめて、想いの丈をぶつけたい。
さきほどまで考えていた心情とのギャップに、自分自身が驚く。
けれども、暁はもうすぐ傍まで迫ってきている。つまりそれは、彼女との別れを意味するときだ。
「・・・そろそろ行かねぇと」
「待って」
もう少しだけ、待って。アーシェは目でそれを訴える。
優しく抱きしめられる時間を、もう少しだけ長く、長く。それが彼女の願いであり、同時に彼の願いでもある。
同じ願いを持っていられること、少しでも長く一緒にいられるために努力すること。それが彼らの関係だ。
「ありがとう」
きつく抱きしめた数分後、彼女のお礼の言葉とともにそのときは終わる。
お礼なんていわれる覚えはないが。彼はそういって、彼女の額に軽いキスを落とす。
そうして彼女がくすぐったそうに笑ったのを横目に、広いベッドの上にあちこち散らばった自分の服を肌に重ねていく。
同じようにして、彼女も。
「気をつけて」
「おう」
先ほどの彼女とは違う、凛とした表情でいう。こういうとき、彼女の育てのよさを感じる。
けれどもその言葉の奥に隠された気持ちを知っているのは、きっと自分だけだ。
「また会いにくるからよ」
去り際、耳元でそっと囁いて王女の私室をあとにする。
残された王女は顔を少しだけ綻ばせながら、過ぎ去っていく飛空挺を見つめる。
− そして。
広い部屋に頼りない光を放ちながら浮かぶ破魔石と、それに添えられた一枚の紙に彼女が気づくのは、それから数秒後。
破魔石はアルケイディアきっての高価で美しい赤。添えられた紙に走り書きされているのはたった一言。
「愛してる」